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「あめの帰るところ」再考

いやあ、「あめの帰るところ」いろいろ考えさせられますなあ・・

昨日は怒りの勢いにまかせて書き散らかしてしまいましたが、あれからいろいろ考えていました。

記憶喪失になった千歳ですが、身の回りの世話をしてくれる女性に対して、何かが違うと違和感を覚え、能登を無意識に探しているという設定でしたが。。

そうやってすがってくる千歳だからこそ、能登は自分の記憶のなかのあめちゃんとのギャップに苦しんだわけです。

が、もし、千歳が、趣味も嗜好も性格さえもがらりと変わってしまったとしたら、能登はどうしたでしょう。

こんな話ありましたよね~、木原音瀬先生のCOLDシリーズです。

記憶をなくし、まったく新しい人生を歩み始めるので、経験によって培ってきた性格まで、リセットされてまったくの別人に。

そうなると、能登は、逆にあめちゃんとは全くの違う人だと、あっさりと割りきれて、あめちゃんは死んでしまったものだと、きっぱりと幕をおろすこともできたでしょう。

いや待てといいたいのは、千歳のほうでしょう。

あんたが好きだといったのは、千歳という人物の一面ではなかったかと。

一緒にすごしたのはほんの短い期間であり、好きな人にみせるいいところだったかもしれない。

なのに、違う一面をみて、あんたは自分の好きになった人とは違うと、言い張るわけです。

千歳としてはやりきれないでしょう。忘れてしまったとしても、それは自分のなかにあるパーソナリティで、今と違うといわれても、それはどうしようもないことだし。

なのに、能登を見捨てなかった千歳はえらいねえ。。

すっぽりと抜け落ちた記憶という不安定な自分を立て直す作業さえ大変なはずなのに・・

過去も未来も見通せない不安の中で、本能のままこの人の手を離してはだめだと能登を追いかける千歳の強さ!

能登。見習え・・爆

こんなにいろいろ考えさせる起爆剤になる作品、すごいですね。しかも号泣と、罵声という両極端だし

さすがに名前に丸をつけるだけあります。あなどれませんな、朝丘戻。先生・・

コバルトで書かれた作品は、ほとんど古本にでまわりません。それほど手元において、読み返したくなる作品なのでしょう。

はるもコバルトの朝丘作品に感銘をうけて収集した覚えがあり自宅内のどこかにあるはず・・ちょっと家探しして、読み返してみます。

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コメント

能登が身を引いて京都へ行こうと思うほど悩んだのは、自分達の恋が同性愛だったからじゃないでしょうか?

普通の男女の恋愛なら記憶喪失だろうがなんだろうが、再び振り向かせることも簡単にできたかもしれませんが、能登にとって千歳が十代であること、男同士の恋愛に踏み込ませてしまうことは、最初から苦渋だったんです。

そこへきて、自分との同性愛を始める決断をしてくれたあめちゃんが消え、女の子の恋人と新しい人生を始めているちいさんに再会する。
ここで「記憶を戻せ、もう一度自分との同性愛を始めろ」と怒鳴って傲慢にならない能登だからこそ、あめちゃんは恋したんだと、私は思いました。

朝丘先生は昔から同性愛というテーマをないがしろにしない人です。
記憶喪失ものとしても、あめちゃんとちいさん、などと名前をかえて書いたりするところが朝丘さんならではだなと思いました。

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